定期的に出てくるお話なのですが、内部留保を活用して自分たちの目的を達成しようという報道がなされています。
報道では、
安倍晋三政権が昨年までの賃上げ要請に続き、経済界への圧力を強めている。政府は2015年10月16日、企業に積極的な投資を促すための「官民対話」の初会合を開き、過去最高水準に積み上がった内部留保を設備投資などへ回すよう要請した。2015年10月28日JCASTニュースとされており、今回は内部留保を設備投資に回してほしいとの事です。
■「内部留保を活用して」という謎理論
さて、内部留保を活用して賃金に回すであったり、内部留保を活用して○○といった議論は、どうも会計にあまり触れる機会ない人たちにとっては人気の論点のようですが、企業側にとっては、あえて厳しい言い方をするならば「言っている意味が分からない」といったレベルの議論であると考えられます。内部留保を活用してと言っている人にとっては、極めて真っ当なことを言っているつもりであると考えられます。(そうでなければ繰り返し定期的に議論される人気の論点にならないですからね)
しかし、企業を運営する側にとっては、「そんな意味不明なことを言われても…」といった反応にならざる負えないため、この種の内部留保を活用してといった要請はいつも空振りに終わるのです。
このように、一見すると真っ当なことを言っているような「内部理論を活用して」というのが、どうして謎理論であるのかを本稿では見ていきたいと思います。
■内部留保って現金があると思っていない?
さて、内部留保活用論者と企業側のボタンの掛け違いはたぶんこの小見出し「内部留保って現金がある」といった事に尽きると思われます。内部留保活用論者はおそらく、利益をため込んで内部留保を厚くしているのだから、現金があるに違いないと思い込んでいるはずです。
しかし、ここに大きなが誤解があるのです。仮に利益を配当金などで社外に流出させずに自己資本比率が100%に限りなく近くなっているような企業があったとしても、その企業が現金を持っているかどうかは別の話なのです。
例えば、ある企業が新社屋が欲しいと考えていたとします。そして、その企業は新社屋を建てるために税金を支払った後の税引き後利益をほとんど配当などに回さずに内部留保としてため込んでいたとします。
この図のように、内部留保分を頑張って現金でため込んでいて、たまたま現金で持っていたようなケースを想定します。
そしてあるとき、溜めていた内部留保を活用して1億円で新社屋を建てたとします。このような場合、内部留保活用論者が言うように、「内部留保を活用して設備投資を…」といった結果となります。
それでは、このような1億円の投資をした企業の内部留保はどうなったでしょうか?意外な結果が出てきます。
確かに、内部留保分の1億円は現金から建物へと変わりました。しかし、内部留保の額はこのような設備投資を行ったにもかかわらず、変わらないのです。
依然として内部留保額は1億円もあるわけです。さすがに、このような経緯で説明されれば「内部留保があるのだから、さらなる設備投資を」という無茶を言う人はいないと思います。
しかし、内部留保を活用して云々は、大きな視点で見ればこのような無茶を言っているようなようなモノなのです。
■要するに言葉の問題
このような説明をすると「どうも内部留保というのは、現金とは関係のない概念らしいな」と感じる人も多いと思います。そのような感覚は正しく、内部留保というのは、言葉として単に資金の調達源泉を示している言葉に過ぎないのです。上の例では最初に現金1億円を持っていましたが、それはなんだかんだで企業が1億2千万円分の経済的資源を調達してきており、それがたまたま、1億円分の現金として運用されているといった事を示しているにすぎません。
このように、内部留保がいくらあると言っても、それは現金がそれだけあるといった事を意味していません。そのため、内部留保を活用してと言う言葉を額面通りに受け取るのならば、場合によっては借金をしてきて対応する必要があります。
そして、どうしても内部留保を活用しようとした場合には、(現金が金庫にある事を意味しないため)場合によっては借金をしてきて対応する事となる可能性があるという事が共通認識となっていません。
そのため、話がかみ合わないのですね。
■言っている方は分かって言っている
さて、このような内部留保についての議論ですが、おそらく言っている方は分かっていっていると思います。少なくとも、政治に関わっている人が言っているわけですから言っている本人の会計に対する理解があやふやであっても周りには専門知識を持っている人がいるはずです。とすると、おそらく「ため込んだ利益を社会正義のために吐き出すべきだ!」といったメッセージの方が「内部留保がたまっているため、財務的に余裕が出てきているハズ。だから設備投資などをしてください」といった方が単純明快ですから、メッセージ性が強く出るとの判断して、正しくない言葉遣いであることは分かったうえで言っている可能性があります。
また、この種の議論はどれだけ設備投資をしても内部留保の額は変わらないため、いくらでも言い続ける事ができるといった、「いったモノ勝ち」的な構造も持っています。
例えば、自動車会社の人が、立派なおうちに住んでいる人に、「キミは財産を持っているんだから高級車を買いなさい」と言って車を買わせ、またその翌年にも「相変わらずキミは財産を持っているのだから高級車を買いなさい」と迫るようなものです。
そして、この人が言う財産という言葉は現金のみではなく、家屋敷や車も含んでいるのでいくら車を買っても、現金といった他の財産が車という財産に変わっただけなので、財産自体は減らないといった種類のモノになっています。
これなら、いつまででも言えますし、言ったモノ勝ちですね。
■そもそも誰のお金?
と、ここまでの議論で出てこなかった内容ですがそもそも内部留保は企業の株主の財産となっています。そのため、経営を委託されているに過ぎない経営陣が勝手な判断で内部留保を減らしかねない勝算のない投資を行ったとすれば、責任を問われます。(株主代表訴訟)投資しても減らせない、かといって確実に内部留保を減らせるような勝算のない投資をすれば責任を問われるといった要請をされても困りますよね。
もちろん、内部留保でため込んだ利益を配当として株主に一気に還元してしまえば内部留保も減るし、株主に責任を追及されないので経営者的には最適解かもしれませんが、それをやったらすごい批判が殺到するんだろうなと思います。
■内部留保を持ち出すからおかしくなる
と、このように内部留保といった概念を無理に持ち出すからこのような議論はおかしくなってしまうのです。そのため、素直に生産性を高めるために投資を奨励するような制度を考えたほうが話はよっぽど早いと考えられます。少なくとも、マスコミ報道では内部留保云々の発言があったときには、取り上げないか、取り上げたとしても議論自体に意味がほとんどない事を注記しておくなどすると、生産的な結論が得にくい内部留保が云々といった議論は、この辺で終わりにできると思うのですが。
本記事に出てきた用語解説
内部留保とは
自己資本比率
株主代表訴訟