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退職金が減るのイヤ!教職員の「駆け込み退職」どう思う? に参加中!
お金を払って働かせていただく_002
ライブドアブログ投稿画面のブログネタに『退職金が減るのイヤ!教職員の「駆け込み退職」どう思う?』というお題があったので、経営マンガ的にどう思うかを書いてみたいと思います。

先生の給与水準とかその辺については、今回は考えませんので、「民間並みに」とかいう意見は勘弁してくださいね。
  • 問題点
こんにちは! J-CAST会社ウォッチ編集部です。昨年、地方公務員の退職金が減額される法律が成立し、県によっては今年2月1日以降に退職する人の退職金が、数十万から百万程度減ることになりました。

これを受けて埼玉県では、減額直前の駆け込み退職する公立学校教師が続出。110人もの先生方が早期退職し、そのうち30人は学級担任を受け持っていたそうです。 
まず退職金の減額幅が百数十万円万円程度と大きく、3月まで職を全うすると2月3月のお給料を考慮しても、70万円ほど合計の受取額が減るとの事。

簡単に言うと、埼玉県の先生方は「2月3月については70万円を支払って働かせていただく」という状態になっているという事です。
  • モチベーション面から
モチベーション論の古典であるマズローの欲求段階説によると、人は次の5つの欲求を持っています。(数字が大きくなるほど高次の欲求です。)
1.生理的欲求
2.安全欲求
3.社会的欲求
4.尊厳欲求
5.自己実現の欲求

そして、低次の欲求が満たされた後により高次の欲求を持つとしています。例えば、「のどが渇いて死にそうな人」は「水を飲む」という生理的欲求を満たすことが最優先で、別に自己実現とかの欲求や、人間関係とかの社会的欲求は二の次になるという事ですね。

また、動機づけ要因・衛生要因という理論もあります。この理論では、満足の源泉となる動機付け要因と、不満足の源泉となる衛生要因はそれぞれ別であるとするものです。

まず、お給料や退職金は先生方にとっては、「生きていくための原資」であるという大前提が出てきます。

(労働は生活の糧を得るのが大目的で、達成感や自らの成長などは、どれだけ割合が大きいとしても、あくまで副次的なものだと思います。)

この「生きていく糧である」お給料や退職金を急に減らすという宣言は、マズローの欲求段階説でいえば、「生理的欲求や安全欲求」を脅かしていることになります。

また、動機付け要因・衛生要因でいえば、衛生要因に著しい悪影響を与えているという事ができます。

これではどうしてもモチベーションには悪い影響を与えますよね。

さらに悪い事に、お給料の水準は「自分が社会に認められている」という尊厳の源にもなっています。(昇給してうれしいのは、もらえるお金が増えるという事と、組織に認めてもらえたという事の両面がありますよね。)

このことから、マズローの欲求段階説による「尊厳欲求や自己実現の欲求」や動機付け要因・衛生要因の「動機付け要因」の方にも悪影響を与える施策なわけですから、モチベーション面を考えると最悪に近いやり方だと思います。
「2月3月については70万円を支払って働かせていただく」状況でも、退職しなかった先生が9割であったと言われています。

その先生方の強い責任感は賞賛に値します。しかし、辞めなかった先生全員が責任感から辞めなかったのでしょうか? 

先生の職場を取り巻く世界では「先生は自分のお金の事よりも生徒の事を考えるべき」との非常に強い同調圧力があるような気がします。

そのため、この同調圧力を跳ね返すことができず、「2月3月については70万円を支払って働かせていただく」という意思決定をした先生がいる事は想像に難くありません。

同調圧力を背景にこのような意思決定を強いるやり方はあまり賛成できないのですが、いかがでしょうか?
  • そもそも退職金って
簡単に増やしたり減らしたりできるものなのでしょうか?

先生方は当初の金額の退職金が支払われるとの契約で働いていた訳です。なのに、ある日突然「減らします!」との宣言で減らすという事は労働条件の不利益変更に当たるような気がします。

法律や条例が根拠ならばその辺は問題無いんでしょうか?経営マンガの中の人は法律家ではないので正確なことは分かりませんが疑問に感じます。
  • まとめ
個人的には、「駆け込み退職した教員としての責任感が足りていない…」とかいう声には賛同しかねます。

なぜかというと、今回のやり方は不合理であるからです。どう考えても、「2月3月については70万円を支払って働かせていただく」という状況は不合理です。

不合理ではないと思われる方は、強力な同調圧力でやらなければならないような状況におかれた上で、70万円を支払って2か月間のボランティアを強いられる状況を想像してみるといいと思います。

それを「個人の責任感」の問題にする事や「先生方は聖職者だから」といった理屈で(屁理屈ですよね)批判することはおかしいと思います。

個人の責任感は、雇用する側の非を帳消しにできる万能薬ではないのです。

それに、「先生の責任感」で不合理な事を認めてしまうという事は、大切な教え子のためになるのでしょうか?

今回のような「職責をまっとうしたら罰金」といったことが行われているのは、大切な教え子が出ていく社会です。

いずれにしても、「ある日突然、職責を全うしようとしたら罰金って言われる不条理」がまかり通る社会はおかしいと声を上げることが大切なのではないのでしょうか?

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