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この記事は、livedoorブログ奨学金の奨学生ブロガー7人による共同企画「正力・原発、日本の漂流」の一環として書いています。ブロガーのテーマは様々ですが、一つの企画で書くことで、何か見えてくることがあるのではないか?そんな思いで始まりました。
今回はいよいよラスト2巡目です!ブロガーによってテーマの掘り下げ方が全く違うところが非常に面白いと思います。

明日4月13日は、「ボーイズラブを読む!」さんです。

 ======【記事本文ここから】===== 
「頑張れば何とかなる」、「頑張ることが正義だ」、「今は頑張るだけです」、「組織の成果が低いのは(みんなの)頑張りが足りないせいだ!」

いきなり質の悪い自己啓発本みたいな出だしでごめんなさい。でも、どこかで聞いた言葉だと思います。

「頑張る事」我々が持っているとされる美徳の一つです。というか今や美徳どころか信仰の対象にすらなっているような気がします。

でも、「まんがで気軽に経営用語」は「単なる頑張り」を安易に肯定しません。経営用語を解説している以上、目指すのは頑張るというプロセスではなく、結果である成果だと考えているからです。

もちろん筆者も頑張れば報われる社会であってほしいと心から思います。でも、頑張れば報われるって言葉をことさら強調する社会って息苦しいんですよね。この言葉を逆に解釈すると「頑張れば報われる」→「報われないのは頑張っていないせいだ!」みたいに簡単に言われかねませんので。 


さて、今の日本人は頑張っているでしょうか?個人的には頑張りすぎると言えるほど頑張っていると感じています。読者の皆様の中にも、朝から必死に仕事をして、帰るのは深夜みたいな生活を送られている方も多いと思います。

では、頑張った結果みんなが幸せになっているでしょうか?前回の記事で書いたような、サービス残業も蔓延していますし、仕事優先で家族で夕食の食卓を囲みたいといった事でさえ贅沢になってしまっているような気がします。

この「頑張り」にたいする過剰な信仰こそが、いまいち社会全体が幸せになれない原因の一つではないのかな?と感じています。厳しい言い方をすると、考える事を放棄して安易に頑張っているだけのような気がするのです。

それでは考えるのを放棄した「頑張り」ってどんなことかを例によってまんがで示してみたいと思います。 
穴掘り大会_001

例えば、穴を掘るという大会があったとします。ルールは平原に一番大きくて深い穴を掘ったチームの勝ち。それだけだとします。

ここにAチームとBチームの二つのチームが毎年参加しているとします。そして、Aチームは気力も体力も充実しており、使う道具であるスコップの改良にも余念がなく、スコップの扱い方も申し分のないチームです。

ひたすらに頑張ってスコップで穴を掘る能力を鍛えてきたAチームは素晴らしい競争力を誇っています。

しかし、競争相手であるBチームはあることに気が付きました。「道具については何にも決まってなくね?」そこでBチームは大型のショベルカーを持ってきました!

この時Aチームはどうするべきでしょうか?蓄積したスコップで穴を掘る能力を放棄してでも機械化すべきですよね。でも、頑張るという姿勢は時として、努力で差を埋める(つまりスコップで掘る時間を増やす)といった行動を招いてしまいます。

この現象は技術革新の非連続性として紹介されている事例に近いと思います。技術革新の非連続性とは、革新的な新技術は既存の改良の延長線上には存在していないという事です。それと同じように、今まで通用した事で頑張るという事ではなく、何か革新的なやり方を目指す必要があるのではないのでしょうか?

ちょっと、極端でひどい例ですね(笑)   

【耕し過ぎた畑】
また、収穫逓減の法則という言葉で紹介されている事例もあります。これは追加で投入した努力が生み出す結果は、次第に少なくなるという言葉です。

これは農業の例(開墾するなら肥沃な土地から開墾するので、追加で開墾した土地は最初の農地ほどの収穫は見込めない→追加で努力しても、得られる追加の収穫量はどんどん減っていく)が分かりやすいと思います。

考えることを放棄して頑張るという姿勢は、時には開墾されつくされた土地を、さらに耕すような事につながる場合があります。


このように、今の延長で頑張ってもなんだかさらに苦しくなるだけのような気がしているのです。では頑張らなくてもいいのか?それも違うような気がします。

問題は「何を目指すのか?」という視点が欠けている事だと思います。最初の穴を掘る例は大きな穴を掘ることが目標です。なので、重機でもなんでも持ってくれば良いのです。

また、次の耕しすぎた畑の例では、大きな収穫を得ることが目標です。そのため、これ以上やってもあまり成果を得られないのであれば、ほかの事(農業の理論を学ぶとか、作物の品種改良を行う等)をするとよいと思うのです。

しかし、本来の目的を忘れ、頑張るという事それ自体が目的になってしまうと、この例のように、ひたすら頑張るといったようなことが起こるのです。


経営用語を解説していく中で、いろいろな用語に触れるのですが、努力それ自体を無条件で肯定しているような議論はあまり見ないです。むしろ、どの方向に向かうかが重要であるといった事を強調しています。

つまり、どうやるかではなく何をするかが重要である。といった趣旨の事が繰り返し強調されているのです。「頑張る」という事はどうやるかに属する事だと思います。

われわれはもう十分すぎるほど頑張っています。そのため、もっと頑張るのではなく、日々頑張る時間のうちほんの少しだけでも、どの方向に向かうべきかを考える時間にすることを試してみてもよいのではないでしょうか?


かつて、われわれには明確な目標がありました。明治時代までさかのぼれば欧米列強に追いつけという、戦後には復興を成し遂げるという分かりやすくて誰もが追い求めるような目標です。

そして、そのような明確な目標を達成するためには、われわれの頑張るという美徳が非常に強力に作用したように思われます。目的地が決まっていれば、あとは一生懸命進むだけですから。

それでは、今われわれにそのような明確な目標があるでしょうか?明確な目標を持たぬまま「頑張って」どんどん疲弊してしまっているのが現状ではないでしょうか?

どのような目標でもよいので目標を持つ必要があると思います。そして、それはトップマネジメントに課せられた仕事だけではなく、一人一人が自分なりの目標を持つべきだと思うのです。

がむしゃらに頑張る前にまずは目標を決めてみてはどうでしょうか?試してみる価値はあると思います。そして、一人一人が目標を持って進めれば、この国はもっとよくなると思うのです。だって、みんなすごく頑張れるんですから。

明日4月13日は、「ボーイズラブを読む!」さんです。
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